都山流本曲は琴古流本曲とはずいぶん感じが違いますがなぜですか。
琴古流本曲は、淘汰されて残って来たものです。その当時、多くの人が即興で色々とやってみただろうと思います。 しかし、それを聞いてみて吹いてみて「なんじゃこりゃ」と思われたらそれで終わりでした。生き残るのは大変でした。 こういう試練を乗り越えて生き残った曲は、やはり、いい曲だなと感じます。
一方、都山流本曲は、都山流をはじめた「中尾都山」その人一人が作りました。これには今に至るまで淘汰という試練はありませんでした。 中尾都山の強大な政治的な力によって、多くの曲が試練を受けることも無く残ってしまいました。 これはハッキリ言って都山流の悲劇です(喜劇とまではいいません)。
というわけで、これが、都山流本曲と琴古流本曲の違いの一端です。
私のこの主張に対して抗議のメールがありました。
以下、投稿者の許可を得ましたので、メールのやり取りを公開いたします。
ただし、挨拶部分やそれぞれの主張にとって重要でない部分は省略し、本名は仮名にしてあります。

HOさん:
唐突ですが、貴殿は「本当」の都山流本曲を聴いたことがありますか。 世間で言うところの著名な都山の演奏家で、流祖都山本来の本曲を吹奏できる人はいません。 それは、貴殿の崇拝する山本邦山氏も例外ではありません。 もし貴殿が、そういった演奏家から都山流本曲を判断しているのなら、 貴殿のおっしゃる通り都山流が「悲劇的」な道を歩んでいると、とらえられても仕方無いでしょう。
しかし、「本当」の都山流本曲を受継いでいる人はいます。私は、永井栖鳳氏を貴殿に紹介したいと思います。 もし、これからも公の場で、都山流本曲について主張されるのなら、是非、永井氏に会い、 永井氏の吹く都山流本曲を、実際に耳にされる事をお勧めします。
私は決して偏見や身びいき( 永井氏のもとで、18年都山流本曲を勉強しました)で、言っているのではありません。 私は現在、英国ロンドンに在住し、当地や日本で著名な演奏家の、生の演奏を耳にしたうえでの主張です。
都山流は決して政治的な力だけで広まったのではありません。流祖都山の吹く豪快で力強い演奏法が当時の人々を魅きつけたのだと思います。 残念ながら現在の演奏家は、流祖本来の本曲が吹けません。琴古流の吹き方で都山流本曲を吹いているのです。そこに都山流の悲劇があるのです。
是非、都山流本来の本曲を体験してみて下さい。
なにか御不明な点があれば、いつでもお応え致します。
林:
都山流本曲についての私あの批判は、都山流本曲そのもの、その曲そのものについて言っているのです。 山本邦山氏が演奏しようが、北原皇山氏が演奏しようが、つまらない曲はつまらない、と言っているわけです。
「つまらない」と感じたのは私自身で、私自身の責任であの批判を書きましたが、 自分自身の「感じ」だけで書くほど図々しくはありませんよ。
都山流の師範以上の人二十人近くの人に直接、「都山流本曲についてどう思うか?」と聞いたところ、 ほぼすべての人が「つまらない」とか「面白くない」と言いました。そういう裏付けもあって書いているのです。
また、「都山流の師範以上の人」の半数以上は専門家で、そうでない人も、 東京都や神奈川県の都山流の支部大会で本曲合同演奏などで独奏をはっていたり、 都山流本曲大会で1位になっているような人達です。
さらに、こういう人達の中の2人のかたは私のところに琴古流本曲を 「都山流本曲は面白くない、琴古流本曲のほうがいい」という理由で習いに来ています。
こういった事実と私の感じ方から、あの批判を書いたわけで、けっしていいかげんに書いたのではありません。

HOさん:
さて、貴殿は「都山流本曲そのもの、その曲そのもの」とは一体何をもとにおっしゃっているのですか。
曲そのものを判断する基準とは何でしょうか。ある演奏家による演奏から曲を判断するのですか。 楽理的に判断するのですか。
「つまらない曲はつまらない」とは何を基準にどう判断しているのですか。 恐らく貴殿は、誤った基準をもとにしているのでしょう。
それは、貴殿の「感じ」の基になった、都山流師範以上の20人や専門家、都山流本曲大会で1位になるような人たちこそ、 「本当」の都山流本曲が吹けない(いや、知らないのでしょう)という事実から推察されます。
そういった人たちは、不幸にも貴殿を誤った解釈へと導いているのです。
「本当」の都山流本曲が吹けない(知らない)のですから、 その中の人たちから「琴古流の方がいい」と言う人が現れるのも至極当然な事です。
私でも、上記の様な都山流の人たちの本曲は「つまらない、琴古の方がいい」と思います。
残念ながら貴殿の接した都山流演奏家(専門家)は、都山流を名乗っていても都山流本曲は吹いていないのです (前回この事を、琴古流的吹き方と言ったのは、少々語弊がありました)。 都山流の悲劇は、「本当」の都山流を吹けない人たちが、都山流を名乗り、 専門家と称し、世間も知らずにそれを都山流だと認めているところにあるのです。
少しでも本気で尺八を学ぼうという人なら、その様な都山流に失望を感じるのは当然です。 そういう意味で、貴殿の主張は当を得ています。
しかし、それが「都山流本曲」だとは思わないで下さい。 誤った要因からは、真実の姿は求められません。 「本当」の都山流を知らずに、都山流本曲を断ずるのは早計ではないでしょうか。
林:
HOさんのおっしゃりたいことはよく分かっています。
私たちは実は同じようなことを言っているのかもしれません。
というのは、私も「ニセモノのくせにホンモノらしく振る舞って、 間違った知識や情報を広めている組織、個人」 に怒りを感じているからです。
私たちの違いは、結局「本当」に対する認識の違いだと思います。
しかし、この問題は絶対に答えは出ないと思いますので、「教則本に書いてない尺八Q&A」でHOさんのメールを 引用したいと思いますが、いかがでしょうか?
「教則本に書いてない尺八Q&A」に、あれくらいのことを書いても、全然クレームが無いのです。 実は、HOさんが初めてですよ。
HOさん:
掲載の件、結構です。どうぞ、載せて下さい。取急ぎ用件のみにて失礼します。
今現在、ここまでです。


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